ジャコモ・プッチーニ

ジャコモ・プッチーニツアー

ジャコモ・プッチーニツアーは、イタリアのオペラの巨匠ジャコモ・プッチーニのゆかりの地ルッカトッレ・ディ・ラーゴを訪れます。

ツアーはまずは、プッチーニが約30年間過ごしたプッチーニ邸のあるトッレ・デル・ラーゴへ向かいます。プッチーニは1891年にマサチュッコリ湖畔のトッレ・デル・ラーゴの借家に移り、1899年には自分の家を構えます。トッレデルラーゴは音楽に没頭できるうえに趣味の狩りに適していたこともあり、この家を『天国、エデンの園、最高の歓喜』と呼んでいました。この地で『マノン・レスコー』 (1891)、 『ラ・ボヘーム』 (1896)、 『トスカ』 (1900)、『蝶々夫人』 (1904)、『西部の娘』 (1910)、『ツバメ』 (1917)、 『三部作ジャンニ・スキッキ、修道女アンジェリカ、外套』(1918)が作曲されたのです。まさにプッチーニの黄金期と言っても過言ではありません。日本人で初めて国際的に評価され、プッチーニから『あなたは私の夢を実現してくれた』と称賛されたオペラ歌手の三浦環も、このトッレ・ディ・ラーゴに住むプッチーニを訪れました。1924年、プッチーニは喉頭癌の手術のためブルッセルへ向かいますが治療の甲斐なく息を引き取ります。遺体はミラノに運ばれ国葬が行われました。ミラノに埋葬されましたが、2年後に息子アントニオの意向でトッレ・デル・ラーゴの墓所へ移されます。そして今も美しい湖畔で永遠の眠りについています。

*プッチーニ邸博物館

プッチーニが愛した湖畔の邸宅は、2012年にプッチーニ邸博物館としてオープンしました。博物館はプッチーニの唯一の孫であるシモネッタ・プッチーニが管理しています。緑、自然、湖と周囲の環境を反映させた、プッチーニ自ら手がけた寝室を見学することができます。プッチーニのお墓(礼拝堂)、数々の所有品、デスマスクなどが展示されています。

トッレ・デル・ラーゴプッチーニ邸を訪れた後は、ルッカへ向かいます。古代ローマ円形劇場広場で知られるルッカでは、まずは昼食を召し上がっていただきます。

食後は、プッチーニの生家と、プッチーニ家がジャコモの父親までの124年間、公式オルガニストを努めた聖マルティーノ大聖堂などを訪れます。城壁に囲まれた美しい町ルッカを散策すると、プッチーニの思い出とともにその魅力ある歴史を語りかけてくれます。

ジャコモ・プッチーニは、トスカーナ北部の町ルッカにて生まれました。プッチーニ家は1世紀半続く音楽家の家系で、プッチーニで5代目でした。音楽家であったすべての先祖の名前を冠して、本名をジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・ マリア・プッチーニと言います。プッチーニの父親はルッカ音楽院の学長を努めていましたが、プッチーニが5歳の時に亡くなります。決して裕福ではない環境で育てられたプッチーニでしたが、母親は彼に熱心に音楽教育を受けさせました。ルッカのドゥオモのオルガニストとなりますが、ミラノのコンセルヴァトーリオで師事した教授の影響で、オペラに興味を持つことになります。

*プッチーニ生家博物館

プッチーニが愛した湖畔の邸宅は、2012年にプッチーニ邸博物館としてオープンしました。博物館はプッチーニの唯一の孫であるシモネッタ・プッチーニが管理しています。緑、自然、湖と周囲の環境を反映させた、プッチーニ自ら手がけた寝室を見学することができます。プッチーニのお墓(礼拝堂)、数々の所有品、デスマスクなどが展示されています。

プッチーニが作曲したオペラは12作。他の作曲家に比べれば数としてはそれほど多くはありません。しかしシンプルでいながら絶妙なハーモニーの美しい曲は、一度聴くと忘れることはできない心に響く作品たちです。

ジャコモ・プッチーニツアー以上の全行程を、イタリア政府公認ハイヤーNCC (運転手付き専用車)にてソムリエ資格を持つイタリア政府公認ツアーガイドがご案内致します。

ジャコモ・プッチーニツアー専用車とガイド
easyfirenze.com代表のジャンニ(ドライバー)と市川朋子(ガイド)が責任を持ってご案内致します。

ジャコモ・プッチーニツアー使用する専用車
ミニバン最高クラスのメルセデスベンツのクラスVです。安全運転で快適な旅をお約束します。

ツアー料金(1名様/税込)

参加人数ドライバーのみ日本人ガイド同行
1名様440ユーロ510ユーロ
2名様220ユーロ255ユーロ
3名様155ユーロ180ユーロ
4名様120ユーロ140ユーロ
5名様105ユーロ120ユーロ
6名様90ユーロ100ユーロ
7名様80ユーロ
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