フィレンツェ最初の女性画家の『最後の晩餐』

フィレンツェ最初の女流画家プラウティッラ・ネッリ

最後の晩餐

プラウティッラ・ネッリは、16世紀に生きたフィレンツェで最初の女流画家である。1570年ごろに彼女が描いた『最後の晩餐』は7mx2mという大きさで、現在に至るまでいかなる女流画家もこの大きさの絵を描いていない。女性が描いた最初の『最後の晩餐』でもある。
1524年に生まれ、14歳の時、フィレンツェの聖カテリーナ・イン・カファッジョ尼僧院にて、プラウティッラという名で修道女として生活を始めた。
この時代、娘を尼僧院に預けるというのは珍しいことではなかった。その中で結婚して尼僧院を後にする者もいれば、そのまま残る者もいた。
プラウティッラが預けられた尼僧院は今はもう存在していないが、ドメニコ派のサン・マルコ修道院に隣接したドメニコ派尼僧院であった。
フィレンツェのドメニコ派修道士の画家といえば、フラ・アンジェリコが代表される。そしてフラ・アンジェリコが築いた『サン・マルコ派』を継ぐ、修道士画家フラ・バルトロメオがいる。プラウティッラは、時代が少しずれるので間接的にではあるが、フラ・バルトロメオから影響を受けた。精神的には、サヴォナローラの影響も受けた時代である。

受胎告知

ウフィッツィ美術館で6月4日まで、プラウティッラ・ネッリ展が開催されている。これからウフィッツィ美術館で女流画家の特別展がシリーズで開催されるが、その第一弾ということらしい。

デッサン

デッサン重視のフィレンツェらしく幾つかの素描も。

聖カテリーナ

プラウティッラは、シエナの聖カテリーナ(カタリナ)を数枚描いている。聖カテリーナの印は、聖痕と百合の花。そして、もう一つの特徴となるのが『涙』。
教皇ベネディクト16世による演説によると「カタリナの霊性のもう一つの特徴と結びついているのは、涙のたまものです。涙は、鋭く深い感受性、心を動かすことのできる優しい力を示します。少なからぬ聖人が涙のたまものを与えられました。カタリナによれば、聖人たちの涙はキリストの血と混ぜ合わされます。」
聖カテリーナのみならず、プラウティッラは涙を流す女性を多く描いている。涙によって、女性の感受性の強さ、優しさを表そうとしたのかもしれない。
プラティネッラが生きた16世紀に『トレント公会議』が開催され、宗教改革が取り沙汰された。今まで尼層院でも托鉢をすることが許されていたが、公会議以降、尼僧院から出てはいけないということになったので、収入源の一つとして絵を描くということも重要性を増した。プラティネッラは、8人の弟子を抱えていたという。女流画家を育てることにも貢献した女性である。

修復中


『最後の晩餐』は、現在、修復中なので今回の展示会では見ることができない。修復後は、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会美術館で展示される予定である。ほぼ等身大で描かれた『最後の晩餐』は、修道院では見ることがない食卓上に並ぶ食事や食器の美しさは、プラウティッラが実家での体験をもとに描いたのはないかということだが、早く実物をじっくり鑑賞したいものである。
修復は、アメリカの団体Advancing Women Artist Foundationが行っている。この団体が修復のクラウドファンディングを行っているので、いっちょ手伝ったるか!と思われる方は以下のページをご覧ください。非投資タイプの購入型なので、お金でのリターンはないが、製品やサービスのリターンがある。5ドルから(pdfの最後の晩餐塗り絵)15ドルから寄付者の名前が記念本に記載されます。クラウドファンディング終了まで、17日です!
プラウティッラ『最後の晩餐』クラウドファンディング

ピエタ

サン・マルコ美術館にも所蔵されている『キリストの哀悼』のキリストはフラ・バルトロメオのデッサンをもとにしている。これはおそらく、プラウティッラが尼僧であったために男性の裸体を見たことがないので、ではないだろうか。


このように、立場上、不可能なこともあったプラティネッラであるが、ジョルジョ・ヴァザーリはその実力を認め『もしも男性と同じ教育を受けることができたならば、さらに素晴らしい画家になっていたことだろう』と評価している。

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