ジロ・デ・イタリアとフォルミリ自転車工房

ジロ・デ・イタリアとフォルミッリ自転車工房

ジロ・デ・イタリア
1909年5月3日に始まったジロ・デ・イタリアは、今年で100回記念を迎える。ジロ・デ・イタリアとは、イタリア半島を南から北まで、約3,500kmを21日間で巡る自転車レースである。毎年5月に開催されるジロ・デ・イタリアの第11戦は、フィレンツェのミケランジェロ広場からパレードが始まった。カロバーナローザと呼ばれる選手村のようなものと関連商品などを販売する屋台が出店して賑やかである。
ジロ・デ・イタリア商品
ジログッズが色々と販売されていた。ジロ仕様スプマンテも。
ジロ・デ・イタリアパレード出発
ミケランジェロ広場でのスタート地点。私たちはここでパレード出発を待つよりも、ポンテ・ア・エマのレースの出発地点に待機することにしたので、お店を一周したら次へ移動。お客様は、ジロ帽子とジロ・シャツをご購入
警官たち
すごい数の警官!ミケランジェロ広場を後に、パレードが通る道を辿りながらポンテ・ア・エマへ。
今回、なぜこの小さな町ポンテ・ア・エマがジロの出発地点に選ばれたのか?
ジーノ・バルタリの家
それは、この町でジーノ・バルタリが生まれたから。写真が生家である。今年のジロ・デ・イタリアはジーノ・バルタリとファウスト・コッピに捧げられている。
ジーノ・バルタリは1934年から1954年に活躍した自転車競走選手である。ジロ・デ・イタリアでは3回総合優勝し、7回山岳賞(ジロ・デ・イタリアの山間部を走る)を受賞。20年の選手生活で15万km走り、836回レースに出場し、124回優勝している。
ジロ・デ・イタリアの服を着る犬
この日は、町中がピンク色に染まる。犬ちゃんまで、ジロTシャツで応援。
ジロ・デ・イタリアのスポンサーであるスポーツ新聞がピンク色という理由から、シンボルカラーはピンク色。優勝者のピンク色のシャツは、1931年の第19回のレースからの話である。1931年といえば、イタリアはファシズムの時代。国家ファシズト党首ムッソリーニはピンク色がお気に召さなかったようだ。ピンク色は女性っぽくて、自転車の勝者が着る服の色ではないと・・・。ピンク色ってのは、確かに私も最初は『ん?』と思ったからな
ジロ・デ・イタリア色のチーズ
犬もピンクで、チーズもピンク!
ポンテ・ア・エマには、ジーノ・バルタリ生家と自転車博物館がある。ジロの出発地点は博物館前であった。
自転車博物館
自転車博物館は、こーんな感じで自転車が並んでいる。小さい博物館がかつてないほどの人で混雑していたので、床上に置かれている説明プレートを倒す人続出・・・。
ジーノ・バルタリ自転車
戦争中に使っていた自転車とか、寝そべって乗る自転車とか、昔からの自転車とユニフォームが展示されている。
ジーノ・バルタリ
その中でも、ジーノ・バルタリが使用していた自転車が一番主要な展示となる。ジーノ・バルタリは強かったということでも有名であるが、別の理由でも世界に名を残した。
ジーノ・バルタリは、第二次世界大戦中、自転車のフレームの中に偽文書を隠してアッシジからフィレンツェまでの185kmの距離を1日で行き来して運んだことで、800人以上のユダヤ人を助けた。この行為が見つかっていれば、死刑になっていたにもかかわらず。そして、バルタリのこの善意が広く知られるようになったのは、彼の死後である。
“善とは語るものではない。行なうものだ。
メダルは、服の上にかけるものだが、
魂にかけるメダルもある。”
ジーノ・バルタリはとても頑固な人物だったので、多くのメディアがでっち上げも含めて色んなことを書いたそうだ。だから上の言葉も彼自身のものかわからないが、彼の行った正義を思うとこれらの言葉はバルタリという人をよく表している。
ジュリアーノ・カローレ
これはジュリアーノ・カローレ氏のハンドルなしの自転車。彼とはドロミティ山脈で偶然に出会ったことがあるが、すごい人なのでまたいつか紹介したいと思う。
ジーノ・バルタリTシャツ
おっちゃんもピンクのバルタリTシャツでスタートを待つ。
自転車
次々と自転車を運ぶ応援車が前を通り過ぎ、フィレンツェ市長もやってきて、そろそろか・・・。
出発
白い鳩が飛び立ち、いよいよスタート!
出発地点だからそれなりにゆっくりと通過するのでは?と思っていたら、大間違い!想像以上の速さで、あっという間に通過していった。どうも最初から全力で飛ばそうという戦略を企てたチームがいたらしく、それに合わせて皆、出発地点から結構な速さを出したそうだ。沿道にいても、選手が巻き起こす風を感じる~。
ジロ・デ・イタリアスタート
とにかく写真を!と闇雲に撮ったのだが、たった2枚しか撮れなかった。うち1枚はマリア・ローザが写っていた あれ?その隣、今日、優勝したフランス人ピエールくんじゃね?
ジロ・デ・イタリア優勝カップ
ちなみにこれが優勝カップ。4月末にヴェッキオ宮殿で飾られていた。
優勝カップ
帯の周りには優勝者の名前が刻まれているが、バルタリとコッピ発見。
驚きの迫力で終わったジロ・デ・イタリア観戦の次は、軽い昼食とフィレンツェ郊外にある人気のジェラート屋でジェラートを食べて、フォルミリ自転車工房を訪れた。
フォルミッリ自転車工房
レンツォ・フォルミリさんの自転車工房。レンツォさんは、チネリ氏の弟子として修行した後に自らの工房を開いた。レンツォさんに工房について説明の合間に、自転車裏話が入り、自転車好きの旦那(ツアーのドライバー)までも興奮して話を聞いていた レンツォさんは、勝手ながら70歳ぐらいの偏屈親父を想像してたが、とんでもない!私たちと同年代でお話好きのとても優しい方であった。
自転車屋
お客様はチネリの自転車をお持ちで、チネリ氏とフィルミリ氏が師匠と弟子ということで、今回はフォルミリの自転車を購入された。なるほど。
イタリアのすごいところは、こんな小さな町工房が世界に向けて商品を発信しているところである。
お客様はイタリア語は話されないのだが、レンツォさんと自転車への情熱ということで言葉がわからなくとも何かしら通じているものがあったのが印象的である。

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